カテゴリー: 横浜観光

横浜の観光情報

  • 神奈川県立歴史博物館

    神奈川県立歴史博物館

    神奈川県立歴史博物館

    横浜正金(しょうきん)銀行は1880(明治13)年に開業した日本銀行と並ぶ国内の最重要金融機関でした。
    赤レンガ倉庫などの設計者として有名な妻木頼黄(よりなか)により、地盤工事から5年の歳月をかけて1904(明治37)年に横浜正金銀行本館として完成しました。
    地上三階、地下一階の構成で、外壁は稲田御影で化粧を施し、コリント式(※1)大オーダー(※2)の円柱が周囲を巡る重厚な造りはドイツ・ネオバロック様式といわれています。

    細部に施された彫刻も美しく、横浜で唯一の石造建築でもあります。 戦後は東京銀行の創立より、ここは東京銀行横浜支店となりました。
    1964(昭和39)年に土地と建物を神奈川県が東京銀行から買収した後、関東大震災時に消失していたドームの復元と新館部分を増築して、1967(昭和42)年神奈川県立博物館として開館しました。
    1969(昭和44)年、国の重要文化財に指定され、また1995年(平成7年)には国指定史跡となりました。同年、内部を改装して神奈川県立歴史博物館に改称されました。

    ※1 コリント式・・・柱頭に飾りが施してある形式
    ※2 大オーダー・・・建物の2階分以上にまたがる列柱

    取材場所詳細
    場   所:神奈川県立歴史博物館
    開館時間:午前9時30分~午後5時 
    休 館 日:毎週月曜日・館内整理日・年末年始 
    入 館 料:大人300円・学生200円・高校生以下、65歳以上、障害者は無料
          (特別展時は別料金) 
    住  所:横浜市中区南仲通5-60  ★地図

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  • 横浜海上防災基地

    横浜海上防災基地

    横浜海上防災基地

    観光客でにぎわう赤レンガパークを越えた先に横浜海上防災基地があります。
    ここは海上保安庁の基地で、第三管区海上保安本部でもあります。通常は訓練や研究に使用されていますが、大規模な海上発生時には船艇や航空機を利用した災害応急対策の拠点として機能します。

    また、大規模油流出や有害液体物質の排出等に対応する横浜機動防除基地や、灯台を維持する横浜航路標識事務所なども基地内にあります。

    海上保安資料館

    通常は関係者以外立入禁止ですが、基地内の一角にある海上保安資料館は一般の見学者に開放しています。
    海上保安資料館は日本周辺海域の現状や海上警備の重要性について、多くの人に理解を深めてもらうことを目的に2004(平成16)年12月に開館しました。

    館内には2001(平成13)年12月に九州南西海域で発生した不審船の船体が弾痕の後も生々しく当時のままに展示されています。武器や水中スクーターなどの船の装備品や、防水スーツなど乗務員が身に着けていた衣類、地図、菓子袋などの回収品も見ることができます。
    四方を海に囲まれた日本だけに、海上保安がいかに重要かを考えさせられます。

    横浜海上防災基地

    取材場所詳細
    場所:海上保安資料館
    入館時間:午前10時~午後5時
    休館日:毎週月曜日(休日の場合は翌平日)年末年始
    住所:横浜市中区新港1-2-1  ★地図


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  • 伊勢山皇大神宮

    伊勢山皇大神宮

    伊勢山皇大神宮

    紅葉坂から野毛方面に広がる丘に伊勢山皇大神宮が鎮座しています。伊勢山皇大神宮は横浜の開港をきっかけとしてこの地に創建されました。
    1870年代横浜が開港されると、貿易以外にもキリスト教などの外来の異文化が盛んに入ってきました。
    そのため神奈川県は精神的支柱と国家の鎮護を祈るために、横浜に神社信仰の場を設けることになり1870(明治3)年、旧戸部村の祠を野毛山に遷座して創建しました。

    伊勢山皇大神宮

    三重の伊勢神宮内宮の御祭神と同じ天照大御神を祀ったため、名称を「伊勢山」に変更しました。
    以来横浜の総鎮守として、また「関東のお伊勢さま」とも呼ばれて、初詣・お花見・七五三等の参拝など広く人々の信仰を集めています。
    毎年5月14日(宵宮祭)・15日(本宮祭)・16日(後宮祭)が例祭で、庖丁式や舞楽奉納などが壮大に行われています。

    取材場所詳細
    場所:伊勢山皇大神宮
    参拝時間:午前8時~午後8時
    住所:横浜市西区宮崎町64  ★地図


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  • 英連邦戦死者墓地

    英連邦戦死者墓地

    英連邦戦死者墓地

    横浜には外人墓地が山手と根岸にありますが、もう1つ、保土ヶ谷区の横浜横須賀道路の狩場インター近くには「英連邦戦死者墓地」があります。
    ここは、第2次世界大戦後にアメリカ合衆国をはじめとする連合国と日本との間で締結されたサンフランシスコ平和条約に関連する「日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定」によって設立されました。元々は「児童遊園地」の敷地でしたが、戦後の接収によりその一部の土地と管理を英連邦戦死者墓地管理委員会に永久に貸与しました。

    イギリス本国だけでなく、英連邦諸国であるカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド、パキスタン、その他アメリカ合衆国とオランダの各国戦没者が葬られています。

    英連邦戦死者墓地

    第2次世界大戦での戦没者以外にも朝鮮戦争やベトナム戦争、戦後の外交関係者、民間人の犠牲者も葬られています。 エリザベス女王夫妻、故ダイアナ妃、サッチャー首相も来日時に訪れました。

    手入れが行き届いた美しい草花と、母国を偲ぶ墓石に囲まれて、異国の地でも安らかに眠ってもらうことを祈るばかりです。

    取材場所詳細
    場所:英連邦戦死者墓地
    参拝時間:午前8時~午後5時
    住所:横浜市保土ケ谷区狩場町238  ★地図


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  • 掃部山公園

    掃部山公園

    掃部山公園

    桜木町駅から山側の紅葉坂を登った右側に広がる小高い緑の丘が掃部山公園です。
    この丘には、明治初期に来日した外国人鉄道技師用官舎技師たちの官舎がありました。
    また、涌き水が鉄道用水として利用されたこともあり、付近一帯は鉄道用地として 「鉄道山」と呼ばれていました。 時は江戸末期、ペリーの来航を迎えようとしていた時に政治の表舞台に踊り出た井伊 直弼は、大老に就任した1858(安政5)年に日米修好通商条約の調印を果たしました。

    しかし彼の独裁的な政策 に反発も多く、 1860(安政7)年、江戸城桜田門外で水戸浪士らの襲撃を受けて(桜田門外の変)46歳 の生涯を閉じました。

    掃部山公園

    その後、井伊直弼の出身地である旧彦根藩の士族らが記念碑の建立を計画しました。
    1881(明治14)年 開港の海を見渡せる鉄道山を井伊家として買収、井伊直弼が名乗っていた「井伊掃部 頭(かもんのかみ)直弼」 にちなんで「掃部山」と呼ぶようになりました。
    1909(明治42)年には銅像が作られ たものの、旧攘夷派の流れを 汲む人々によって首を落とされ、さらに第二次大戦による金属回収指示によって取り 払われてしまいました。
    現在の銅像は1954年(昭和29年)に再建されたものですが、台座は初代のものが使わ れています。 井伊直弼の銅像からはランドマークが臨めますが、井伊家所有時代に造営された公園 内の日本庭園など、 日本の歴史を感じることの出来る場です。

    取材場所詳細
    場所:掃部山公園
    住所:横浜市西区紅葉ケ丘57  ★地図

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  • 横浜能楽堂

    横浜能楽堂

    横浜能楽堂

    横浜能楽堂は緑豊かな掃部山公園の一角に建っています。この能楽堂の本舞台は、1875(明治8)年に東京・根岸の旧加賀藩主前田斉泰(なりやす)家に建てられ、後に染井の松平頼寿(よりなが)邸に移築され、1965(昭和40)年まで実際に利用されていました。
    これは現存する関東最古の能舞台といわれています。1996(平成8)年、本舞台をメインとして解体移築され、横浜能楽堂として開館しました。能楽堂内には能楽の装束や楽器などを常設展示している他、有料公演時以外であれば二階席から本舞台を観覧できます。
    無料スペースもあり、能楽への理解を広く深める役割も持っています。

    取材場所詳細
    場所:横浜能楽堂
    入館時間:午前9時~午後8時
    休館日: 不定期
    住所:横浜市西区紅葉ヶ丘 27  ★地図

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