カテゴリー: 横浜観光

横浜の観光情報

  • カトリック山手教会

    カトリック山手教会

    カトリック山手教会

    1862年(文久2年)フランス人宣教師ジラールによって、横浜開港後の最初のキリスト教会堂である横浜天主堂が山下町に建てられました。
    やがて山手が外国人住宅地として発展したのに伴い、教会は山手44番に移転することになりました。

    1906年(明治39年)に双塔のゴシック様式煉瓦造りの大聖堂が完成して、活動の拠点を移したものの、関東大震災で倒壊してしまいます。1933年(昭和8年)チェコ出身のJ.J.スワガーの設計により、再建されました。

    尖塔アーチ形の窓、開堂当時からの鐘をもつとんがり屋根の鐘塔など、西欧中世を思い起こさせるネオ・ゴシック風の外観は、今もなお道行く人々を惹きつけます。
    横浜大空襲にも耐えた後、現在は横浜市認定歴史的建造物に指定されています。

    鐘やフランスから贈られたという庭のマリア像は創建当時そのままの面影を残しています。
    行事が無い時には一般開放をしているので、建物の中の重厚な雰囲気を感じられることも出来ます。

    取材場所詳細
    場所:カトリック山手教会
    住所:横浜市中区山手町44  ★地図


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  • 山手80番館遺跡

    山手80番館遺跡

    山手80番館遺跡

    かつて外国人居留地として開発された山手地区には、住宅だけでなく学校、病院、教会などの西洋建築が立ち並んでおり賑わっていましたが、関東大震災と第二次世界大戦の空襲によって、そのほとんどが倒壊・焼失してしまいました。
    元町公園の西端の小径を山手本通り方面に登ると、おい茂る木立ちの間にれんがでできた山手80番館遺跡がひっそりと横たわっています。

    当時はフランス人マクガワン夫妻の住居で、鉄筋補強のレンガ造りによる三階建ての建物でありました。
    しかし、関東大震災で倒壊してしまい、最近になって発掘されました。

    山手80番館遺跡

    現在残っているのはその地下室部分と思われますが、玄関ホール、暖炉、サロンや使用人部屋などを備えた今で言う豪邸だったようです。また山手80番館に使われた瓦や、遺構から出土したタイルを色鮮やかに複製して展示してあります。

    遺跡の周囲には散策路から張り出すように展望デッキが設けられ、ゆっくりと見学することができます。

    取材場所詳細
    場所:山手80番館遺跡
    住所:横浜市中区山手町 元町公園内  ★地図

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  • 野毛山のつり橋・浦舟水道橋

    野毛山のつり橋・浦舟水道橋

    野毛山のつり橋

    ●野毛山のつり橋 
    野毛山動物園の入口付近から展望台・芝生広場に向かうと、吊り橋式の歩道橋を通ります。
    横浜ベイブリッジを思わせるすっきりとしたデザインのこの橋は、1971(昭和46)年日本の工業デザインの第一人者である柳宗理氏の設計により完成しました。
    動物園や公園を訪れる子供達や、みなとみらい方面の景観を楽しむ人々に日々愛されています。

    浦舟水道橋

    ●浦舟水道橋
    南区浦舟2丁目~中村町3丁目間の中村川に架かる朱色の橋が浦舟水道橋です。
    ピン結合プラットトラスとは明治中期に用いられた橋梁形式で、この形式の道路橋としては現在日本で最古のものといわれています。
    この橋は1893年(明治26年)、現在より下流に西の橋として架設しました。
    その後1927(昭和2)年、翁橋として移設され、さらに平成元年(1989)年浦舟水道橋として現地に再移設されました。
    当初より橋の規模は縮小されましたが、当時のイギリス製の鉄材も使われており、平成12年度に市認定歴史的建造物の指定を受けました。

    取材場所詳細
    場所:野毛山のつり橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市西区老松町63 野毛山動物園  ★地図
    場所:浦舟水道橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市南区浦舟町2-33~横浜市南区中村町3-191  ★地図


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  • フランス橋・ポーリン橋

    フランス橋・ポーリン橋

    ポーリン橋

    1986(昭和61)年に完成した鋼箱桁橋の歩道橋で、観光的な要素の含んだデザインとなっています。
    みなとみらい線の元町・中華街駅の東側から堀川をまたぎ、フランス山側と「人形の家」を結ぶのがフランス橋、「人形の家」から山下公園側がポーリン橋です。
    フランス山には明治時代にフランス領事館がありましたが、震災により倒壊してしまいました。

    当時の建物には「RF」(フランス共和国)と彫られたメダイヨン(円形の飾り)が両翼部外壁に数個取り付けられていました。
    再整備の工事の際にこのメダイヨンが出土したため、フランス橋の橋台壁面に埋め込まれ、当時の面影を残しています。

    ポーリン橋の起点となる「人形の家」前には、1927(昭和2)年にアメリカから平和と 友好の意を込めて送られた13,000体の「青い目の人形」のひとつである「ポーリン」ちゃんの銅像があり、この橋の名前の由来となっています。
    トキワアケビの棚や山下公園通りのいちょう並木が四季を彩り、通る行き交う人々の目を楽しませてくれます。

    フランス橋

    取材場所詳細
    場所:フランス橋・ポーリン橋(かながわの橋100選)
    住所:中区山手町185番~山下町18番~山下町279番 
    ★フランス橋:地図 ★ポーリン橋:地図

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  • 吉田橋

    吉田橋

    吉田橋

    ●吉田橋
    馬車道の南端から関内駅を通過して伊勢佐木方面に抜ると、高速道路をまたいで吉田橋があります。
    吉田橋の誕生の歴史は江戸時代まで遡ります。
    横浜開港期の開港場と外部とは堀川で隔てられていたため、吉田橋が架けられて開港場と外部とを繋いでいました。当初は木製で、埋立地である吉田新田から架かっていたことが名前の由来と言われます。

    山手本通りを抜けて打越方面に進んでいく吉田橋には関門が設けられ、外国人や武士、一般市民などの接触を制限していました。関門の内側の馬車道側を「関内」、外側を「関外」と呼んでいました。
    近代化によって交通量も増えてきたため、1869年(明治2年)イギリス人技師、ブラントンによって日本初の鉄製トラス橋として架け替えられました。

    イギリスから取り寄せた鉄材等を 使用した鉄製の橋は珍しく、「カネの橋」と呼ばれて横浜の新名所になりました。
    しかし「カネの橋」と呼ばれた もう1つ理由は、吉田橋を渡る時 に通行料が必要だったからとも言われています。 関門は1871年(明治4年)に廃止され、「カネの橋」は1911年(明治44年)、さらに頑 強な鉄筋コンクリートに作り変え られました。その後、改築や撤去を経て現在の橋は5代目となりました。
    当初とはまっ たく異なる景観ですが、 吉田橋の欄干は「カネの橋」時代の吉田橋のものを復元したデザインになっていま す。
    歩道脇にある「吉田橋関門跡」 の記念碑は1993年(平成5年)に横浜市地域史跡に指定されました。

    取材場所詳細
    場所:吉田橋
    住所:横浜市中区末広町1丁目  ★地図

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  • 霞橋・打越橋

    霞橋・打越橋

    霞橋
    霞橋

    ●霞橋
    横浜市西区と南区の間を走る藤棚浦舟通上方に、中世の城壁を思わせる重厚な外観の鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が架かっています。
    大正2年に建設されましたが、震災に遭ったため1928(昭和3)年に現在の橋が完成しました。
    道路へ降りる階段まわりに使用されているレンガ壁や門柱は、大正時代のものが使われています。
    平成16年度には市認定歴史的建造物の指定を受けました。

    打越橋

    ●打越橋
    山手本通りを抜けて打越方面に進んでいくと、上方に鮮やかな朱色の打越橋が見えて きます。 霞橋と同様に、震災復興事業として1928(昭和3)年に竣工された鋼製のアーチ橋です。 背の高い白い欄干と大きなアーチを描く朱色塗装の橋桁は、遠くからドライバーの目 を惹きつけ ます。橋の上はかなりの高さがあり、ランドマークなどのみなとみらい方面のビル郡 が同じ位の 目線で捕らえることができます。 平成15年度に市認定歴史的建造物の指定を受けました。

    取材場所詳細
    場所:霞橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市西区霧ヶ丘56~横浜市南区三春台90  ★地図
    場所:打越橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市中区打越26~横浜市中区山手町223  ★地図

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