投稿者: ldw-admin

  • 掃部山公園

    掃部山公園

    掃部山公園

    桜木町駅から山側の紅葉坂を登った右側に広がる小高い緑の丘が掃部山公園です。
    この丘には、明治初期に来日した外国人鉄道技師用官舎技師たちの官舎がありました。
    また、涌き水が鉄道用水として利用されたこともあり、付近一帯は鉄道用地として 「鉄道山」と呼ばれていました。 時は江戸末期、ペリーの来航を迎えようとしていた時に政治の表舞台に踊り出た井伊 直弼は、大老に就任した1858(安政5)年に日米修好通商条約の調印を果たしました。

    しかし彼の独裁的な政策 に反発も多く、 1860(安政7)年、江戸城桜田門外で水戸浪士らの襲撃を受けて(桜田門外の変)46歳 の生涯を閉じました。

    掃部山公園

    その後、井伊直弼の出身地である旧彦根藩の士族らが記念碑の建立を計画しました。
    1881(明治14)年 開港の海を見渡せる鉄道山を井伊家として買収、井伊直弼が名乗っていた「井伊掃部 頭(かもんのかみ)直弼」 にちなんで「掃部山」と呼ぶようになりました。
    1909(明治42)年には銅像が作られ たものの、旧攘夷派の流れを 汲む人々によって首を落とされ、さらに第二次大戦による金属回収指示によって取り 払われてしまいました。
    現在の銅像は1954年(昭和29年)に再建されたものですが、台座は初代のものが使わ れています。 井伊直弼の銅像からはランドマークが臨めますが、井伊家所有時代に造営された公園 内の日本庭園など、 日本の歴史を感じることの出来る場です。

    取材場所詳細
    場所:掃部山公園
    住所:横浜市西区紅葉ケ丘57  ★地図

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  • 横浜能楽堂

    横浜能楽堂

    横浜能楽堂

    横浜能楽堂は緑豊かな掃部山公園の一角に建っています。この能楽堂の本舞台は、1875(明治8)年に東京・根岸の旧加賀藩主前田斉泰(なりやす)家に建てられ、後に染井の松平頼寿(よりなが)邸に移築され、1965(昭和40)年まで実際に利用されていました。
    これは現存する関東最古の能舞台といわれています。1996(平成8)年、本舞台をメインとして解体移築され、横浜能楽堂として開館しました。能楽堂内には能楽の装束や楽器などを常設展示している他、有料公演時以外であれば二階席から本舞台を観覧できます。
    無料スペースもあり、能楽への理解を広く深める役割も持っています。

    取材場所詳細
    場所:横浜能楽堂
    入館時間:午前9時~午後8時
    休館日: 不定期
    住所:横浜市西区紅葉ヶ丘 27  ★地図

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  • カトリック山手教会

    カトリック山手教会

    カトリック山手教会

    1862年(文久2年)フランス人宣教師ジラールによって、横浜開港後の最初のキリスト教会堂である横浜天主堂が山下町に建てられました。
    やがて山手が外国人住宅地として発展したのに伴い、教会は山手44番に移転することになりました。

    1906年(明治39年)に双塔のゴシック様式煉瓦造りの大聖堂が完成して、活動の拠点を移したものの、関東大震災で倒壊してしまいます。1933年(昭和8年)チェコ出身のJ.J.スワガーの設計により、再建されました。

    尖塔アーチ形の窓、開堂当時からの鐘をもつとんがり屋根の鐘塔など、西欧中世を思い起こさせるネオ・ゴシック風の外観は、今もなお道行く人々を惹きつけます。
    横浜大空襲にも耐えた後、現在は横浜市認定歴史的建造物に指定されています。

    鐘やフランスから贈られたという庭のマリア像は創建当時そのままの面影を残しています。
    行事が無い時には一般開放をしているので、建物の中の重厚な雰囲気を感じられることも出来ます。

    取材場所詳細
    場所:カトリック山手教会
    住所:横浜市中区山手町44  ★地図


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  • 山手80番館遺跡

    山手80番館遺跡

    山手80番館遺跡

    かつて外国人居留地として開発された山手地区には、住宅だけでなく学校、病院、教会などの西洋建築が立ち並んでおり賑わっていましたが、関東大震災と第二次世界大戦の空襲によって、そのほとんどが倒壊・焼失してしまいました。
    元町公園の西端の小径を山手本通り方面に登ると、おい茂る木立ちの間にれんがでできた山手80番館遺跡がひっそりと横たわっています。

    当時はフランス人マクガワン夫妻の住居で、鉄筋補強のレンガ造りによる三階建ての建物でありました。
    しかし、関東大震災で倒壊してしまい、最近になって発掘されました。

    山手80番館遺跡

    現在残っているのはその地下室部分と思われますが、玄関ホール、暖炉、サロンや使用人部屋などを備えた今で言う豪邸だったようです。また山手80番館に使われた瓦や、遺構から出土したタイルを色鮮やかに複製して展示してあります。

    遺跡の周囲には散策路から張り出すように展望デッキが設けられ、ゆっくりと見学することができます。

    取材場所詳細
    場所:山手80番館遺跡
    住所:横浜市中区山手町 元町公園内  ★地図

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  • 野毛山のつり橋・浦舟水道橋

    野毛山のつり橋・浦舟水道橋

    野毛山のつり橋

    ●野毛山のつり橋 
    野毛山動物園の入口付近から展望台・芝生広場に向かうと、吊り橋式の歩道橋を通ります。
    横浜ベイブリッジを思わせるすっきりとしたデザインのこの橋は、1971(昭和46)年日本の工業デザインの第一人者である柳宗理氏の設計により完成しました。
    動物園や公園を訪れる子供達や、みなとみらい方面の景観を楽しむ人々に日々愛されています。

    浦舟水道橋

    ●浦舟水道橋
    南区浦舟2丁目~中村町3丁目間の中村川に架かる朱色の橋が浦舟水道橋です。
    ピン結合プラットトラスとは明治中期に用いられた橋梁形式で、この形式の道路橋としては現在日本で最古のものといわれています。
    この橋は1893年(明治26年)、現在より下流に西の橋として架設しました。
    その後1927(昭和2)年、翁橋として移設され、さらに平成元年(1989)年浦舟水道橋として現地に再移設されました。
    当初より橋の規模は縮小されましたが、当時のイギリス製の鉄材も使われており、平成12年度に市認定歴史的建造物の指定を受けました。

    取材場所詳細
    場所:野毛山のつり橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市西区老松町63 野毛山動物園  ★地図
    場所:浦舟水道橋(かながわの橋100選)
    住所:横浜市南区浦舟町2-33~横浜市南区中村町3-191  ★地図


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  • フランス橋・ポーリン橋

    フランス橋・ポーリン橋

    ポーリン橋

    1986(昭和61)年に完成した鋼箱桁橋の歩道橋で、観光的な要素の含んだデザインとなっています。
    みなとみらい線の元町・中華街駅の東側から堀川をまたぎ、フランス山側と「人形の家」を結ぶのがフランス橋、「人形の家」から山下公園側がポーリン橋です。
    フランス山には明治時代にフランス領事館がありましたが、震災により倒壊してしまいました。

    当時の建物には「RF」(フランス共和国)と彫られたメダイヨン(円形の飾り)が両翼部外壁に数個取り付けられていました。
    再整備の工事の際にこのメダイヨンが出土したため、フランス橋の橋台壁面に埋め込まれ、当時の面影を残しています。

    ポーリン橋の起点となる「人形の家」前には、1927(昭和2)年にアメリカから平和と 友好の意を込めて送られた13,000体の「青い目の人形」のひとつである「ポーリン」ちゃんの銅像があり、この橋の名前の由来となっています。
    トキワアケビの棚や山下公園通りのいちょう並木が四季を彩り、通る行き交う人々の目を楽しませてくれます。

    フランス橋

    取材場所詳細
    場所:フランス橋・ポーリン橋(かながわの橋100選)
    住所:中区山手町185番~山下町18番~山下町279番 
    ★フランス橋:地図 ★ポーリン橋:地図

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